昭和28年
NX-200 改良,実験が行われる.
FD(フロントドライブ三輪車)製作.
昭和29年
モータースクーター普及会に所属.
この頃は“遠乗り”がメインの行事であった.作業は主に普及協会の事務所
(現在の明治大学生協付近)で行っていた.
昭和30年
FDを譲り受け,修理改良等が行われる.
各企業の試験等を円陣会が受け持ち下請け会社的存在となる.
昭和31年
エビンルード製エンジン等の分解,組立と共にそのエンジンを搭載したモーター
ボートで山中湖,逗子にて運転試験を行う.
昭和34年
主にラビットスクーターやホンダ製バイク等の分解組立を行い,工学祭には,
未来を予想した石膏の自動車モデルを出展.
昭和36年
工学祭に向け実験台車(フレームレール式)を製作しドラムを用いた悪路を設定
してそれにおけるベースの強度等を研究した.
昭和37年
軽自動車の分解,組立等を行い,工学祭には自作フレームにエンジンを載せ,動
かし,振動モードを与え応力計算等を行う.
昭和38年
(社)自動車技術会学生自動車研究会に所属しており,村山にあるテストコース
(現在:谷田部)で車両の定地試験や遠距離の運行試験等を行う.
昭和39年
NX-III製作,未完成に終わる.
ポニーエンジン使用四輪車
360cc空冷水平対向型エンジン
グラスファイバーボディ
昭和40年
NX-III製作継続.ゴーカートを製作し,駿河台4号館前道路で走行する.
昭和42年
部門を5つに分けそれぞれ研究を行う.
ルノーが研究していた車高調整システムを自転車の空気入れを利用し,モデルを
製作する.
部室が,駿河台4号館2階から地下1階に移る.
昭和43年
習志野校舎(現船橋校舎)に1年次設置.
日大紛争突入.約一年半にもわたりクラブ活動が禁止の状態になる.
昭和45年
紛争前より製作にかかっていたNX-IVを製作する.(未完成)
軽自動車の定地試験や雑誌「モーターファン」のフィーリングテストに参加する.
昭和46年
NX-IVの製作を継続するが未完成に終わる.
昭和52年
3つの部門レーシングカート,エンジン整備およびチューンナップ,ラリー参戦
に分かれて活動する.
昭和53年
“円陣”創刊号発行
昭和55年
電気自動車の走行実験を行う.
(社)自動車技術会学生自動車研究会(学自研)におけるスポーツカート設計
および製作において技術賞を獲得.(2気筒水平平横置きエンジン)
昭和56年
学自研におけるレーシングカート設計コンテストを引き継ぎ,優秀賞を獲得.
昭和57年
曽根健哉先生退官される.
ホンダエコノパワー燃費競技全国大会出場開始.300.81km/l
カートも前年度社に改良を施し,走行会に出場,2位となる.
昭和58年
ホンダエコノパワー燃費競技全国大会リタイア.(関東大会1位)
昭和59年
ホンダエコノパワー燃費競技全国大会タイムオーバーにて失格.(推定948.2km/l)
昭和60年
昭和シェルCGマイレッジマラソン(鈴鹿サーキット)に進出する.(リタイア)
ホンダエコノパワー燃費競技全国大会.(452.38km/l)
昭和61年
桜井好和先生退官される.
ホンダエコノパワー燃費競技全国大会.(452.50km/l)
昭和シェルCGマイレッジマラソン.(293.2km/l)
昭和62年
ホンダエコノパワー燃費競技全国大会クラス優勝,3位.(611.24km/l・488.59km/l)
昭和シェルCGマイレッジマラソン.(454.2km/l・440.3km/l)
昭和63年
ホンダエコノパワー燃費競技全国大会.(リタイア)
昭和シェルCGマイレッジマラソン.(292.7km/l)
平成元年
ホンダエコノパワー燃費競技全国大会クラス9位.(タイヤ脱落,388.57km/h)
昭和シェルCGマイレッジマラソン36位/396台.(408.7km/l)
平成02年
景山克三先生退官のため,顧問を鳥羽毅先生にお願いする.
ホンダエコノパワー燃費競技全国大会.(435.77km/h)
昭和シェルCGマイレッジマラソン.(327.9km/l)
平成03年
ホンダエコノパワー燃費競技全国大会.(399.67km/h)
昭和シェルCGマイレッジマラソン.(306.2km/l)
エコラン活動を終了する.
平成04年
創立40周年
習志野校舎(現船橋校舎)に2年次移行.活動が困難になる.
ミニバイクNX-R製作
平成08年
顧問を堀内伸一郎先生にお願いする.
平成11年
(社)自動車技術会関東支部Challenge NipponチームとしてFormulaSAE(R)製作に参加.
(FRP製ボディカウル製作)
平成12年
FormulaSAE(R) J-001完成,5月には日本チームとして初の米国デトロイト遠征を果たす.
(総合28位/104チーム)
年度後半より,内田・星野研究室の協力によりJ-002の製作にも参加.(アルミフレーム製作)
平成13年
FormulaSAE(R) J-002完成.5月に米国デトロイト遠征.
残念ながら,耐久走行試験中に冷却系破損により棄権.総合91位/125チームに終わる.
日本大学チームとして,2003年第1回日本大会参加を目指し,FormulaSAE(R)車両の設計製作
を開始する.